結城友奈は勇者である とちゃき 06/21/2021 (Mon) 02:44:08 No.158654 del
女の子がデスゲームや過酷か環境に放り込まれて、死んだり不具になったりするのを見て涙を流して気持ちよくなるタイプの、言葉にしてみるとものすごい悪趣味な作品たちを特攻魔法少女アニメ群と分類する。女の子たちが人身御供そのものの扱いを受けて悲惨な死に方をする。
『結城友奈は勇者である』は一見するとよくありがちな魔法少女アニメに思えるのだが、個人的には魔法少女アニメの皮を被ったはだしのゲンだと思っている。「戦場から芋虫みたいな身体になって帰ってきて、ただ息をしているだけの人間を近所の奴らは無責任に軍神だと言って褒め称えている」というコマが、『結城友奈は勇者である』のだいたいのあらすじである。
少女たちは日常を人質に取られて戦わざるを得なくて、大切なものを守るために敵に神風特攻魔法攻撃を仕掛ける度に障害者になっていく。その中で愛国ネトウヨ魔法少女が、友達が一人また一人と戦闘で障害者になっていくのに絶望して「こんなクソ社会ぶっ壊してやる!」とブチ切れるあたりが最高にエモい。
関係あるのかどうかわからないけど、以前に靖国神社の遊就館にいったときに特攻で戦死した青少年たちの遺影がびっしりと展示されているのを見て、「死者の魂が冒涜されている」と思ったのね。生きているときには無謀な作戦に命を捧げさせられて、死んだあとも保守派のイデオロギーを支えるために使役されている。死者の魂を安らかに眠らせることなく、「彼らは戦後の日本を築くために戦った誇り高い英霊だ」という物語のために利用し続ける。特攻が間違っていたとか、太平洋戦争をするべきではなかったという話ではなくて、本来であれば鎮められるはずの霊を縛り付けているのが気持ち悪かった。
ロジカルな話ではないが、呪術師が死者の身体を操り続けるのと同じように、死んだ人間の魂を別の目的のために不当に利用している臭いがあった。死者の口を塞いで、操り人形にして、自分たちのイデオロギーに都合のいいことを喋らせる。思想ではなくて、死者の弔い方に相容れないものを感じたということがあった。
『結城友奈は勇者である』シリーズの視聴後に感じるやましさは遊就館から出てきたあとの気持ちに似ていた。世界という抽象的なものは守れるのだが、自分の半径数メートルにいる大切な友達は守れない。その葛藤によって少女たちの身体と精神は二重に傷つけられる。
少女が不幸になるのを眺めて気持ちよくなるタイプのエンターテイメントの暗部に自覚的になって、人身御供を要求する社会を舞台にする点ではまどかマギカよりも好印象だ。キュウべぇにとっては魔法少女は乾電池といっしょだけど、『結城友奈は勇者である』の世界はちゃんと少女が生け贄になっている。